インタビュー

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福岡運輸 富永 泰輔 社長

2017年08月22日

【戦後72年 物流トップなに思う】

父がなれなかった社長に

 昭和49年、福岡市に生まれた。4人兄弟の末っ子。まだ近所に空き地が多く、ドッジボールをよくしていた。一年中半袖半ズボン。小学校は木造校舎だったが、低学年の時に建て替えられた。漫画のキン肉マ...

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オーシャントランス 髙松 勝三郎 社長

2017年08月22日

【社長インタビュー】

使い勝手の良さ追求 小口混載で需要を喚起

 ドライバー不足や法令順守への対応で、海上輸送の需要は日に日に高まっている。東京―徳島―新門司(北九州市)間でフェリーを運航するオーシャントランスの髙松勝三郎社長は「少子高齢化が進む中、物流...

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三八五流通 泉山 元 社長

2017年08月08日

【戦後72年 物流トップなに思う】

スケート部でキャプテン 

 昭和24年、青森県八戸市に生まれた。いわゆる〝団塊の世代〟。10クラスくらいあって、1クラス60人くらい。教室が足りなくて、2部制で授業をしていた。  小学校までは野球、中学ではスピ...

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備後通運 大山 茂生 社長

2017年08月08日

【この人】

地域密着で繁栄する 

 日本通運鳥取支店長から備後通運社長に5月、就いた。「歴史の重みを感じ、気を引き締めている」  日通グループの一翼を担う備後通運は昭和18年設立。平成30年には75年の節目を迎える。本社を...

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博運社 真鍋 博俊 会長

2017年08月01日

【戦後72年 物流トップなに思う】

青年会議所で切磋琢磨 

 昭和25年に福岡市で生まれた。当時から福岡は九州で一番大きな町。小学生の時に人口60万人を突破したと記憶している。幼稚園の頃は「ばっちん」と呼ばれていたメンコやコマ遊びに夢中だった。  ...

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阪九フェリー 小笠原 朗 社長

2017年08月01日

【社長インタビュー】

新門司-神戸航路2隻 平成32年夏までに代替へ 

 阪九フェリー(本社・北九州市、小笠原朗社長)が「いずみ」「ひびき」(新門司―泉大津航路)を建造して2年が過ぎた。小笠原社長は効果に手応えを感じており、来年で船齢15年を迎える残り2隻「やま...

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第一貨物 武藤 幸規 社長

2017年07月25日

【戦後72年 物流トップなに思う】

米兵とは顔なじみ 

 昭和19年に生まれた。物心ついたのは東京だった。会社の発展期、増資に次ぐ増資の時期で、家計は厳しかった。  当時は食べ物も少なく、父親(幸雄氏)がご飯にバターとしょうゆをかけて食べるのが...

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SBSフレック 佐藤 佳嗣 社長

2017年07月25日

【この人】

〝いまの自分〟が全て 

 3月、渡辺誠前社長(現・非常勤顧問)の後を継いだ。輸送を担う子会社のSBSフレックネットと合わせ、約3000人の社員が活躍する企業体をけん引する。「重責だが、取引先からより一層信頼される会...

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日本通運 斎藤 充 社長

2017年07月18日

【社長インタビュー】

世界と戦える企業体質へ 陸海空の一体化さらに 

 日本通運(本社・東京)は5月、斎藤充社長を中心とする新体制をスタートした。渡辺健二会長による陸海空一体化を目指す大規模な組織改正を経て、「真のグローバルロジスティクス企業として、さらな...

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鴻池運輸 辻 卓史 会長

2017年07月18日

【戦後72年 物流トップなに思う】

出会いで広がる人生 

 昭和17年の戦中生まれ。3歳の時に、兵庫県芦屋市に大空襲。畑の中を逃げるうちに、姉が靴を落としたことだけが脳裏に残っている。小学校の成績は良くなかったが、行きたい中学校を決めてから猛勉強。...

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