インタビュー

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太平洋フェリー 志甫 裕 社長

2017年09月05日

【社長インタビュー】

新造船投入で利用促進 「きたかみ」を刷新へ

 名古屋―苫小牧を航路とする太平洋フェリー(本社・名古屋市、志甫裕社長)は平成31年1月の就航に向けて、苫小牧―仙台を結ぶ新船「きたかみ」の建造を進めている。現行船が平成元年10月に同航路に...

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SBSホールディングス 鎌田 正彦 社長

2017年08月29日

【戦後72年 物流トップなに思う】

自分の人生は自分で決断 

 昭和34年、宮崎県延岡市に生まれた。旭化成の発祥の地で、当時の人口12~13万人のうち6割ぐらいが旭化成関連の仕事をしていた。生家は材木商を営んでいた。  小学校2年生の時に、生家が倒産...

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日本梱包運輸倉庫 大岡 誠司 社長

2017年08月29日

【社長インタビュー】

変化に先駆ける 長大車両で課題克服

 日本梱包運輸倉庫(本社・東京)は車両の長大化を推進し、得意分野の自動車部品物流に長尺物を組み合わせ輸送の効率化を図る。6月に就任した大岡誠司社長は「原理・原則を重視し変化に対応した経営を大...

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福岡運輸 富永 泰輔 社長

2017年08月22日

【戦後72年 物流トップなに思う】

父がなれなかった社長に

 昭和49年、福岡市に生まれた。4人兄弟の末っ子。まだ近所に空き地が多く、ドッジボールをよくしていた。一年中半袖半ズボン。小学校は木造校舎だったが、低学年の時に建て替えられた。漫画のキン肉マ...

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オーシャントランス 髙松 勝三郎 社長

2017年08月22日

【社長インタビュー】

使い勝手の良さ追求 小口混載で需要を喚起

 ドライバー不足や法令順守への対応で、海上輸送の需要は日に日に高まっている。東京―徳島―新門司(北九州市)間でフェリーを運航するオーシャントランスの髙松勝三郎社長は「少子高齢化が進む中、物流...

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三八五流通 泉山 元 社長

2017年08月08日

【戦後72年 物流トップなに思う】

スケート部でキャプテン 

 昭和24年、青森県八戸市に生まれた。いわゆる〝団塊の世代〟。10クラスくらいあって、1クラス60人くらい。教室が足りなくて、2部制で授業をしていた。  小学校までは野球、中学ではスピ...

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備後通運 大山 茂生 社長

2017年08月08日

【この人】

地域密着で繁栄する 

 日本通運鳥取支店長から備後通運社長に5月、就いた。「歴史の重みを感じ、気を引き締めている」  日通グループの一翼を担う備後通運は昭和18年設立。平成30年には75年の節目を迎える。本社を...

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博運社 真鍋 博俊 会長

2017年08月01日

【戦後72年 物流トップなに思う】

青年会議所で切磋琢磨 

 昭和25年に福岡市で生まれた。当時から福岡は九州で一番大きな町。小学生の時に人口60万人を突破したと記憶している。幼稚園の頃は「ばっちん」と呼ばれていたメンコやコマ遊びに夢中だった。  ...

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阪九フェリー 小笠原 朗 社長

2017年08月01日

【社長インタビュー】

新門司-神戸航路2隻 平成32年夏までに代替へ 

 阪九フェリー(本社・北九州市、小笠原朗社長)が「いずみ」「ひびき」(新門司―泉大津航路)を建造して2年が過ぎた。小笠原社長は効果に手応えを感じており、来年で船齢15年を迎える残り2隻「やま...

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第一貨物 武藤 幸規 社長

2017年07月25日

【戦後72年 物流トップなに思う】

米兵とは顔なじみ 

 昭和19年に生まれた。物心ついたのは東京だった。会社の発展期、増資に次ぐ増資の時期で、家計は厳しかった。  当時は食べ物も少なく、父親(幸雄氏)がご飯にバターとしょうゆをかけて食べるのが...

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