インタビュー

【 戦後72年 物流トップなに思う 】
日本全国ジャズ喫茶巡り

2017年09月05日
久留米運送 二又 茂明 社長
昭和28年、福岡県久留米市に生まれた。繊維の問屋街があるなど商人の町。遊び場は駅前デパートの井筒屋。屋上の遊園地やプラモデル屋によく行っていた。
当時父(茂登氏)は、肥料飼料商の万来屋商店と久留米運送の2つの会社を経営していた。来客が多く、九州出身で運輸大臣も務めた楢橋渡さんなどが来ていた。夕方からの宴会は、お酒を運ぶなどの手伝いをしていた。
ビートルズの来日公演を見て人生が変わった。音が聞こえないほどの歓声が上がるのをテレビで見て興味を持ち、レコードを買った。地元の有名なジャズ喫茶「ルーレット」に通い、ジャズに目覚めた。
東京に行きたくて、早大に入学。麻雀やジャズ喫茶に入り浸った。暇を見つけては、全国のジャズ喫茶を巡った。旅費をためるために秋葉原でオーディオ販売のアルバイトをした。先輩に教えてもらい、スピーカーやアンプなどいろいろな組み合わせを試せた。
東京で就職したが、兄たちに「親孝行していない」と怒られ昭和58年、久留米運送に入社。さばき切れないほど荷物がある時代。好きな音楽も聴けないほど忙しかった。
思いがけず社長になったのは平成22年、兄(大栄氏)が急逝したため。兄は入院中でも病室に役員を集め、新年度の事業計画を作成していた。逝去の2日前、病室に当時の専務4人を呼び、また別の計画を確認した。厳しかったそれまでと違い簡単な指摘で終わった。その日の帰りがけに呼び止められ、「次はお前だぞ」と指差された。その時は笑ったが、病状が急変し亡くなった。最期に新年度の事業計画を立て、後継者を指名した。死ぬその瞬間まで社長だった。