インタビュー

【 戦後72年 物流トップなに思う 】
自分の人生は自分で決断

2017年08月29日
SBSホールディングス 鎌田 正彦 社長
昭和34年、宮崎県延岡市に生まれた。旭化成の発祥の地で、当時の人口12~13万人のうち6割ぐらいが旭化成関連の仕事をしていた。生家は材木商を営んでいた。
小学校2年生の時に、生家が倒産。中学になると新聞配達や学研のセールスマンなどをして自分の小遣いは自分で稼ぐ感覚を身に付けた。中でも印象に残っているのは新聞配達。毎日朝5時くらいから配り始めて、100件を自転車で回った。どうやったら早く回れるか工夫して配達したが、雨や風の日は大変だった。月給は8000円だった。
高校は延岡高校という伝統ある進学校。だが周りは、「県庁に勤めたい」「先生になりたい」など面白みがなく、2年目に休学。銀座でクラブをやっている先輩の家に転がり込み、店を手伝った。初めて東京の人混みを見て、〝お金が落ちてる。このお金をつかみたい〟と感じた。1年間、東京暮らしをして延岡に帰った。
卒業後海外留学をしようと、再び上京。初任給36万円、3カ月後には50万円という佐川急便の求人広告を見て飛び込んだ。朝来て配達の積み込み、夜は路線の発送をやって1日20時間は働いていた。その後新たに立ち上げられた子会社に移り、ナンバー2の立場に就いた。総務・経理・営業などを21歳の若者が任され、本当に勉強になった。いまの事業の原点になったと感じている。
創業者・佐川清の「会社を踏み台にのし上がれ」という言葉に引かれ、いろいろな人が当時の佐川には、集まっていた。一旗揚げてやろうというエネルギーが渦巻いていて、非常に刺激的で鍛えられた。(文責・佐藤 周)