インタビュー

【 戦後72年 物流トップなに思う 】
父がなれなかった社長に

2017年08月22日
福岡運輸 富永 泰輔 社長
昭和49年、福岡市に生まれた。4人兄弟の末っ子。まだ近所に空き地が多く、ドッジボールをよくしていた。一年中半袖半ズボン。小学校は木造校舎だったが、低学年の時に建て替えられた。漫画のキン肉マンが好きで「超人」になりたかった。
中学・高校は一貫校に進学。闘争心が強く格闘技好きで中学は柔道部に入った。高校からはテニスを始めた。高校時代の出来事で印象に残っているのは、62年の株価暴落「ブラックマンデー」。数学の先生に、覚えておきなさいと言われた。
大学は東大に入学した。東京は刺激的という憧れがあり、「ジュリアナ東京」に行ってみたいと思っていた。東京は選択肢が多く、住んでいる所で遊ぶ場所も変わる。池袋や新宿、渋谷といった大きな街があり、それぞれで空気が違うと感じた。
継ぐという意識も特になく、海外での仕事をしたいなどと考えていたが、東京で働くことを条件に福岡運輸に。キックボクシングに熱中し、世界チャンピオンの増田博正のジムに毎日通っていた。根が凝り性で熱中したが、選挙に立候補した時にプロテストと日付が重なったのを機にやめた。
父(恒二氏)を亡くしたのが5歳の時で、記憶はほぼない。笛を吹いて、うるさいと怒られた記憶くらいしかない。いま当時の父の年齢である41歳も超え、父がなれなかった福岡運輸の社長にもなった。感慨深い。
あり得ない状況だが、会社を同じ立場で見られる父が生きていたらといま思う。自分が他人として自分を見たらどう見えるかというのを知りたい感覚に近い。実際に存命で話したら喧嘩するとは思うけれども。(文責・佐藤 周)