インタビュー

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【 戦後72年 物流トップなに思う 】

スケート部でキャプテン 

2017年08月08日

三八五流通 泉山 元 社長

 昭和24年、青森県八戸市に生まれた。いわゆる〝団塊の世代〟。10クラスくらいあって、1クラス60人くらい。教室が足りなくて、2部制で授業をしていた。
 小学校までは野球、中学ではスピードスケート部に所属し、スポーツに打ち込んだ。八戸は、青森県でも太平洋側に位置し昔からアイススケートが盛ん。全日本の大会ができるほど立派な長根リンクというスケート場がいまもある。部ではキャプテンを務め、3000mと5000mに出場していた。
 大学は東京で経営学を学ぼうと思い、東洋大学に進学。不忍池の近くや千石に住んでいた。高校までとは気持ちが変わり、真面目に勉強に取り組みアルバイトもほとんどしないほど。当時の東京は、建て替えの時期で活気があった。よく遊んでいた巣鴨を最近訪れたが、行きつけの喫茶店など何もかも変わっていた。
 卒業後、視野を広げたいと3年間サラリーマン生活を送った。49年、会社を大改革するという気持ちで三八五貨物自動車運送(現・三八五流通)に入社。54年には、八戸市議会議員に当選し3期務めた。市民の声を聞きながら、役所の仕組みも理解できるようになった。
 50歳の時に、お客さんとのゴルフを写真に残そうとカメラを始めた。最初に買ったデジタルカメラは、カシオ製だった。ストーリーを決めて写真を撮り、テーマごとに分類し、選んでいくのが楽しい。1枚単体では良い写真でも、ストーリーに合わない場合もある。
 いま手掛けているのは日本人のルーツを探る写真集。縄文期の遺跡や土偶、土器などを撮影している。本を読み込んで、仮説を立て写真でつづった。出来上がりが楽しみだ。(文責・佐藤 周)