インタビュー

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【 戦後72年 物流トップなに思う 】

青年会議所で切磋琢磨 

2017年08月01日

博運社 真鍋 博俊 会長

 昭和25年に福岡市で生まれた。当時から福岡は九州で一番大きな町。小学生の時に人口60万人を突破したと記憶している。幼稚園の頃は「ばっちん」と呼ばれていたメンコやコマ遊びに夢中だった。
 32年に父(庸人氏)が、吉塚の貨物駅のそばに博運社を設立すると、倉庫が遊び場になった。馬がいて、ソフトクリームのコーンが置いてあり、こっそりと食べたこともある。博運社を命名してくれた川中一郎氏が経営する博多運輸も一緒にあった。
 高校は、地元の名門修猷館高校に進学。1年の時に新しいプールができたことに引かれ水泳部に所属、キャプテンも務めた。五輪出場選手を輩出したこともあり練習はハードだった。一橋大学では、自動車部に入部した。キャプテンが格好良かった。
 卒業後は商社に勤務し、銅や地金を扱う仕事に従事した。2年後に呼び戻されて、博運社に入社。コンピューター導入の責任者として働き始めた。その後営業に転じ、野村正弘常務(当時)に仕事も遊びも教わった。
 同じ頃、力を入れたのが、福岡青年会議所の活動。53年度の理事長だったのが福岡倉庫社長(当時)の富永恒二さん。会議のあいさつがすてきで、憧れた。後に理事長になり、会議所の仲間と地域振興のためプロ野球球団を誘致しようと、活動。63年に福岡ダイエーホークス(現ソフトバンクホークス)の誘致に成功した。自分たちで企画し、汗を流す充実感は格別だった。
 50歳の時にいままでと違うことをやろうとマラソンを始めた。自己ベストは3時間40分ぐらい。トラック協会の会長になり走る時間もなくなったため大会にでることはやめたが、いまでも毎晩近所の公園を走っている。(文責・佐藤 周)