インタビュー

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【 戦後72年 物流トップなに思う 】

純度100%目指し没頭 

2017年07月11日

魚津海陸運輸倉庫 田村 繁樹 社長

 昭和18年、富山県魚津市に生まれた。7人兄弟の長男。6月4~6日の3日間は、地元魚津神社のお祭り。メインの通りを使って盛大。生家は農家で荷馬車引きもしていた。
 家に五右衛門風呂があり、沸かすのが仕事。113回井戸のポンプを押すとちょうど満杯だ。村人も入浴に来た。テレビを購入すると、風呂上がりの村人が母屋でプロレスを見ることも多かった。
 田植え時期は農作業を手伝うものの、子どもは作業が遅く足手まとい。夕飯の支度を言いつけられていた。いまでも会社でみそ汁を作るのが日課だ。中学生の時に父親が3輪の2トン車を購入。魚津駅からほど近くに2件の石灰工場があり、鉄道で来た石灰石をトラックに積み替え配達していた。
 高校卒業後、大手化成品メーカーに技術者の卵として入社。当時最新の早月工場(滑川市)で働き始めた。メラミン樹脂の精製が主な仕事で、当時の純度は97%程度。だがライバル会社が100%メラミンの精製に成功。こちらもやらなければと白羽の矢が立ったのが新米技術者の私だった。
 張り切って取り組み、圧力や温度、原料の投入速度などをさまざまに変えて、毎日深夜まで実験に没頭した。結果半年くらいで100%の安定精製に成功したが、父親に助けてくれと言われ、23歳でトラック業界に飛び込んだ。
 技術者の傍ら、村の青年団にも参加。ハエ退治など村の衛生活動に取り組み、NHKが取材に来るほど活発に活動を展開した。テーマを決めたら、とことんやるのが性格だ。
 年配者からかわいがってもらえたのが財産。多くのアドバイスを受けた。いまは、なるだけ若い人に返したいと思っている。(文責・佐藤 周)