インタビュー

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【 戦後72年 物流トップなに思う 】

無人島探検で危機一髪 

2017年07月04日

大和物流 緒方 勇 社長

 昭和24年、長崎県の五島列島で農家の家に生まれた。男6人姉1人、7人兄弟の下から2番目。海で貝を採ったり魚を釣ったりとやんちゃな子どもだった。学校は小中併設。板張りの床に草履履き。3男が外航船に乗っていて、海外の缶詰などをおみやげに買ってきたのが美味しかった。
 兄に援助してもらい、高校受験を決意。遮るものがない家の中で、勉強はたんすと戸袋の間に入ってした。高校時代で覚えているのは、高1の夏休み。五島に帰ってきた時、無人島へ20人くらいで行った。かつて隠れキリシタンなどが住んでいた島で、教会跡があった。一晩島で過ごした翌朝、起きたら台風で船が流されていた。消防団に助けてもらったが、まさに〝危機一髪〟。
 1年浪人して入った大学では、空手に没頭。きつい練習だったが、成長させてもらった。一方でアルバイトもよくしていた。酒屋に勤めて、小倉競馬場に配達したり一生懸命働いていた。もうかったのは、八幡製鉄所のコークス集め。大変だった分見返りも大きかった。
 プレハブハウスが成長するのでは、と思い大和ハウス工業に入社。若い会社でエネルギーがあったのも魅力。最初に取った大きな仕事が、ボンドで有名なコニシの滋賀工場建設。夜討ち朝駆けで、半年ほど毎日工場長の自宅に通った。幹線道路沿いに、大型施設を開設するプロジェクトでは、地主を調べて1軒1軒訪ね歩いた。農家育ちが役立ち、地主である農家の気持ちを分かることができた。
 人とのつながりが財産。ゴルフも酒も〝楽しい、おいしい〟のは良い人と過ごすから。会社経営でも基本だと思っている。(佐藤 周)