インタビュー

【 戦後72年 物流トップなに思う 】
映画に没頭した少年時代

2017年06月27日
西多摩運送 千原 武美 会長兼社長
戦争が終わって間もない、昭和22年に生まれた。まだ焼け野原で規制なんて何もない。好きなことをして遊んでいた。
子どもの頃から映画好き。弁護士のペリー・メイスンが活躍するドラマも好きだった。小学校の時に白黒映画から総天然色のカラー映画に。中学校では日活、高校では東映のヤクザ映画がブームでよく見に行っていた。
市川右太衛門や長谷川一夫のチャンバラ映画も好き。子どもの頃はチャンバラ遊びもよくした。悪がきで、映画「ビー・バップ・ハイスクール」みたいな高校時代を過ごした。若い頃は頭の良い人とも、〝ワル〟とも分け隔てなく仲良くしていた。人間関係で大事なのは、波長が合うことだと感じた。
西多摩運送に入社して出会ったのが、並木一男社長(当時)。器の大きな人だった。仕事が早く、何かお願いするとすぐ回答を出してくれた。一方、採算の悪い支店に回されることが多く、「なぜ」と思うことも。
荷主の大手製造業で働いていた藤田さんも忘れられない人だった。頭の回転が速く判断力に優れている半面、あまり人の話を聞かない性格。お互い若く、よく大ゲンカをした。藤田さんは毎日夜更けまで帰らない。こちらも意地でも帰るかと残った。夜中の0時に配車したこともある。
ある時工場のラインが故障し、荷物が出せない時があった。藤田さんは、そのために用意したトラックの代金をきちんと払ってくれた。忘れられない思い出だ。
経営でも人生でも、自分の思いを形にできると楽しい。そのためには厳しくてもやり抜く力が必要だ。若い頃の意気込みや冒険心を失わず挑みたい。(文責・佐藤 周)