インタビュー

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【 戦後72年物流トップなに思う 】

モノづくりに憧れて 

2017年06月06日

北野 耕司 姫路合同貨物自動車会長

 昭和4年に兵庫県高砂町(現・高砂市)で生まれた。たこ揚げや、模型飛行機をつくるのが好き。市内にある生石(おうしこ)神社の秋祭りは全国的に有名、猿田彦の踊りに胸躍らせた。
 尋常小学校6年生の時に日米戦争開戦。本当に勝てるのかと感じた。終戦は旧制中学4年生で16歳の時。最初は「1億総火の玉」とはうそか、「国に騙(だま)された!」と思った。徐々に冷静になり死ななくて済んだと思えたのは夕方になってからだった。
 26年、神戸工業専門学校(現・神戸大学)に入学。カメラや精密機械が好きで、モノづくりの道に進みたいと思ってのこと。クラブは卓球部。そこで知り合った先輩や仲間とは、その後も深い付き合いを続けた。
 卒業後、兵庫日産販売に入社。新しいUDエンジンが出始めた頃で、トラブルが多く対応に追われる日々だった。7年半勤めた後離職し、工専の友人と夢の車づくりに乗り出した。フレームやサスペンションをつくって組み立てまで行ったが、新車登録ができずに挫折した。
 だが、これでモノづくり熱に火が付いた。34年に大学時代の先輩と会社を始めた。面白くなってきたところで、父に呼び出されて車両課長として姫路合同貨物自動車に入社することになった。いまでも続けてたらと思うと夜中に〝ええい!″となることもある。
 51年に社長就任。モノづくりを会社づくりに切り替えたつもりで、取り組んできた。脱路線や傭車の積極的な活用などを打ち出し、53年に黒字化を達成した。
 どんなことでも前向きに取り組んでいかなければ、楽しめない。これからもコツコツと着実に進んでいきたい。(文責・佐藤 周)