インタビュー

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【 戦後72年 物流トップなに思う 】

飛び込んで惚れ抜く 

2017年04月25日

日本通運 川合 正矩 会長

 東海道の宿場町静岡県金谷町で生まれた。9人兄弟の下から2番目。小さい頃から、祭が好き。町内の子ども会で、落花生を食べ過ぎて鼻血を出したこともある。血の気の多い子どもだった。
 長じてガキ大将、中学では生徒会副会長を務めた。人を使うことや、まとめる知恵を自然と身に付けた。中学ではバレー部と理科実験部に所属。真夜中の学校で校庭にマットを敷いて流星群を観察したのが思い出に残っている。
 大学で初めて上京し、東京大学駒場寮に入寮した。解放感と、自分で何事も責任を取らなくてはいけないという自覚を持った。共同生活では、ワガママがそのまま通るわけではないことも学んだ。多感な時期に経験する共同生活は人格形成に与える影響も大きい。この時にできた友人は、いまでもかけがえのない存在だ。
 現場のある職場を志望し、日本通運に就職。東京で研修を終え仙台に配属になった時、辞令を持たずに支店を訪れ、「馬鹿!」と怒られた。荷物と一緒に鉄道で送った辞令が着いたのは1週間後だった。
 仙台時代の上司が、昭和62年から副社長を務めた豊田芳夫さん。若手社員に「東北経済をどう活性化させるか」という宿題を出すなど、印象深い人だった。昭和45年、通関士をライバル会社が取得した。自分たちも取ろうと話したら、豊田さんが「講習を受けてこい!」と東京に行かせてくれた。若者への指導が行き届いていた。
 いまの若い人は、仕事を見限るのが早過ぎではないか。環境は与えられたものだが、変えることはできる。仕事も人もまず、好きにならなければ。論語にあるように「之(これ)を知る者は之を好む者に如(し)かず」だ。(文責・佐藤周)