インタビュー

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【 全ト協・事業者大会特集~下請法 改正の目的とあるべき競争環境の形 】

価格転嫁 着実な推進を 商慣行改めデフレ脱却へ

2025年10月14日

神田 秀樹 東京大学名誉教授

 来年1月、改正下請法が施行され、名称も中小受託取引適正化法(取適法)に見直される。主眼は、中小をはじめ企業の賃上げの原資確保へ、サプライチェーン全体で適切な価格転嫁を定着させること。下請法改正を検討した国の研究会で座長を務める神田秀樹東京大学名誉教授は「法改正による価格転嫁の着実な推進とともに、産業構造の転換を図ることも経済を成長軌道に乗せるために重要」と語る。

 ――昨年5月、下請法が改正された。背景は。
 神田 日本ではおよそ30年間デフレ経済が続いた。今ようやくデフレを脱し軌道に乗ろうとしている時に、サプライチェーン全体で適切な価格転嫁を定着させることが重要だ。取引上の力関係により価格転嫁が目詰まりを起こしてはならず、そのために高度成長期後に続いた悪い商慣行を改めようという観点の下、昨年度に設置された公正取引委員会・中小企業庁の企業取引研究会では下請法改正を中心に議論した。

一方的な代金決定禁止

 ――改めるべき商慣行とは。
 神田 上昇するコストの転嫁や無償で提供していた行為の代金を下請け事業者(取適法施行後「中小受託事業者」)が求めた場合に、デフレ経済下で利益を出せていない親事業者(同「委託事業者」)が交渉に応じない、あるいは両者間の力関係を背景に交渉が起きない状況を打開する必要がある。親事業者が代金に関する協議に応じないなどの一方的な代金決定が禁止される。無償で提供する行為では、例えば親事業者が部品などの製造委託をする場合に、長期間発注しないにもかかわらず金型を無償で保管させるようなケースが長年問題となっていた。運送業の場合、無償の荷役や荷待ちが該当する。
 ――価格転嫁の内容もさまざまだ。
 神田 電気代が100円上がった場合に代金を100円上げてもらうのは分かりやすい姿だが、賃上げの場合、電気代のような固定額でなく幅がある。親事業者側からすると下請け事業者のコスト上昇分を全て負担するかの問題があり、どれだけ転嫁できるかはケースバイケース。両者が対等であれば交渉は企業の自由に任せればいいが実際にそうはならず、独占禁止法や下請法により委託取引の適正化が促されてきた。

運送委託が規制対象に

 ――運送取引が対象に加わる。
 神田 中小企業庁が定期的に公表する価格交渉促進月間フォローアップ調査でトラック運送、通信、広告、廃棄物処理といった業種はコスト上昇に対する転嫁率が低いことが分かっている。加えて物流企業が無償で荷役や荷待ちをさせられる問題に対し、発荷主から元請け運送企業に対する物品の運送の委託が取適法の規制対象に追加された。
 ――運賃自体の値上げが焦点ではない。
 神田 むしろ無償の荷役や荷待ちなど不合理な商慣行の見直しが取適法の焦点。運賃については国土交通省でこれまでも施策が講じられてきた。(ドライバーの残業規制による)物流2024年問題に対する政府の対策とも時期が重なったが、運送委託の追加は、長年の商慣行を改めデフレ脱却に向けた価格転嫁が進むための環境を整備するという、より大きな文脈の中に位置付けられる。
 ――物流業界では適正取引推進の点で面的執行の強化への期待もある。
 神田 物流に限らず、公取委と中企庁が事業所管省庁と連携した執行が拡充される。指導・助言権限が全事業所管省庁の主務大臣に付与されるとともに、物流ではトラック・物流Gメンに申告しやすいよう、報復措置が禁止されるとともに、申告先に国交相が追加される。

着荷主の問題は検討中

 ――着荷主側でも解決すべき問題が残る。
 神田 運送企業と直接の契約関係にない着荷主に関わる問題はまだ未解決で、企業取引研究会で検討を継続中。今年度中には何らかの形で結論を出す方向で進めている。
 ――多重下請け構造も課題。業界では1990年の規制緩和以降、多重下請け化が進んだといわれる。
 神田 4次請け、5次請け、さらに6次請けもあると聞く。例えば自社の営業エリア外の運送を同業他社に委託し広域ネットワークを構築する場合も5次請けや6次請けまでは必要がなく、経済合理性を欠くのではないか。サプライチェーン全体での円滑な価格転嫁を妨げる要因ともなり得る。
 ――ここでも公正な競争の確保が問題になる。
 神田 自由化・規制緩和以前の時代には競争を制限することにより事業者の健全性の確保が目指され、例えば金融業界では預金金利が規制されどこの銀行でも同じだった。その後、自由な競争を促そうと規制のパラダイムは転換したが、今の時代の規制の姿は、まさに公正な競争を確保するものでなければいけないが、そうなり切れていない。

産業構造の転換不可欠

 ――もう一つ大きな話として、価格転嫁を図るだけでは不十分だ。
 神田 取適法の目的がデフレ脱却へサプライチェーン全体で適切な価格転嫁を図る点にあることは既に述べたが、では物価が上昇し賃金が上昇すれば、本当に日本経済は長期的な停滞を克服できるかは疑問が残る。同時に、80年代以前の成功体験に依拠した産業構造からの転換を図ることが重要と考える。
 ――過去約30年間、企業はコストカット型の経営で低成長・低消費を乗り切ってきた。
 神田 今の状況をマクロ的に見た時、家計の金融資産約2200兆円のうち約1000兆円は預貯金で、銀行を介し融資の形で企業に貸し出されているが、それは6割で残りの約400兆円は実は行き場がない。企業に資金需要が不足しているためで、そうした状態は98年から続いてきた。90年代前半まで企業の資金需要は家計の預貯金を上回ったが、その後は預貯金が企業の資金需要を上回る状況に陥った。(銀行が国債への投資を増やし)政府が巨額の財政赤字を続ける中で(物価が上がらないことを前提にした)「悪い均衡」が定着してきた。
 ――構造転換の必要性が長年いわれながら、できなかった。
 神田 中国やインドが台頭し始めた80年代に、米国はITにかじを切るなどものづくりを中心とした産業構造からの転換を推し進めたが、日本はものづくり中心のままで来てしまった。円安により輸出競争力が維持されたために産業構造の転換が遅れてしまった。

物流は変わるチャンス

 ――そこへ来て、人口減少や巨額の財政赤字といった難題も抱える。
 神田 超高齢社会を迎えた中で高齢者向け医療や福祉関連ビジネス、あるいは老朽化した水道管などのインフラ更新のビジネスは大きな需要が見込まれる半面、新たな担い手が現れ営利事業として成立させるまでには至っていない。ゲーム、アニメなどエンタメ産業は成長が期待されるが、事業承継の課題に直面しつつものづくりを続ける中小企業も多い中で、明確な方向性はいまだ示されていないように思う。
 ――物流は変われるチャンスだ。
 神田 地域が抱える問題に過疎化や格差があるが、例えばAIを活用して山あいの過疎地の農業を振興するアグリ・ビジネスが注目されたり、貧困家庭や孤食を支援する子ども食堂に対するニーズが高まる中で、どちらも運送が密接に関わるなど必要とされる場面はさまざまに出て来るだろう。労働力人口減少の中で、複雑な地形をした山間部の配送網をどう維持するかといったことを踏まえて考えると、無償の荷役や荷待ちなどの商慣行を改め、取引の条件・内容を一つ一つ経済合理性のあるものにしていく必要がありそうだ。そのためにはマインドセット(心構え)を変えることが重要で、運送業界は今変われるタイミング。専門紙が果たす役割も大きいと言える。