インタビュー

メインビジュアル

【 評伝 】

トラックと物流が好き 人望厚く業界をけん引

2024年07月23日

多摩運送会長・全日本トラック協会名誉会長
星野 良三さん

多摩運送会長で、全日本トラック協会名誉会長の星野良三さんが6日、87歳で亡くなった。多摩運送のトップとして、安全重視の企業姿勢確立に注力する一方、東京都トラック協会や全日本トラック協会の会長としても数々の難局に当たった。温かな人柄で多くの人に慕われ、業界の地位向上の端緒を開いた。

1937年、東京都生まれ。第2次世界大戦の戦時下では、橋の欄干や町内のお神輿(みこし)まで、金属製品は全て供出するのをその目で見た。明治大学時代は自動車部に所属し、関東大会のトラック部門で2連覇を達成。60年には、トラックで日本一周道路調査を達成した。

同年、明治大学を卒業後、物流を天職と感じ、迷わず父の良一氏が経営していた多摩運送に入社した。当時、炭やまき、コメなどを取り扱っており、従業員の気性もまだ荒かった。

安全、何より重んじ

68年には取締役人事部長に就任。従業員とのコミュニケーションをきっかけに、人事制度に分かりにくい部分があることに気付き、制度を分かりやすく整理。社員の信頼を勝ち得ることにつなげた。その後、常務を経て74年に社長就任。安全を縦糸、人材開発と労使協調を横糸に、重量物や食品など特色がある事業を展開する企業へと多摩運送を成長させた。

84年にはQC活動をいち早く導入。2000年代にも品質や環境の国際認証を積極的に取得した。中でも、車載器の導入には積極的で、06年に、業界に先駆けて全車にドライブレコーダーを装着した。

協会活動でも、安全と環境に注力。1999年、当時の石原慎太郎都知事が排ガス規制を打ち出したことに端を発する一連のディーゼル車規制にも、歴代会長と連携して対応。東京都トラック協会長に就任後の2006年には、ドラレコの助成制度を創設し、事故半減を実現した。

地位向上にも貢献

11年、全日本トラック協会長に就任。全都道府県を訪問するなど、積極的に活動した。また、原価計算の重要性を訴え、原価計算セミナーなどを推進。15年には、当時の安倍晋三首相がトラックを含む5業種のサービス業の生産性向上を目的に開催した協議会に業界代表として出席し、業界の地位向上につながる一連の政策の端緒を開いた。その功労が認められ、18年に旭日重光章を受章した。

事故を起こさないことを心掛け、車の免許は自主返納。以後は自転車の運転を楽しみにしていた。人柄は明るく前向き。「物事には必ず良い面と悪い面がある。良い面から物事を見て、今を大切に生きることが人生にとって最も重要だと思っている」と話していた。

記者思いで記憶力も良く、本紙の70周年の節目に行ったインタビューの際は、60周年と同じスーツを着用。「前回のインタビューでも着た服だよ」と話し、記者が驚く姿を見て目を細めていた。17年の傘寿を祝う会では、従業員・家族に囲まれまだまだ意気軒高。「トラック・業界が好き」と常に口にし、「物流は良くなっている」とアピールを続けた。多くの人に慕われ、業界のイメージアップに貢献した名トップだった。