インタビュー

【 新年特別インタビュー 】
出会いと挑戦を大事に 自分や周囲の人生の転機

2024年01月02日
歌手
錦野 旦さん
今年でデビュー54年目を迎えた、歌手の錦野旦さん。デビューから出会いを大切にし、それぞれの場面で得られた助言や提案を生かしてきた。それらを基に仕事では映画にも挑戦し、プライベートでは水泳やフルート演奏にも励んでいる。出会いと挑戦を大事にし、自分や周囲の人生を変えてきたことから、人手不足と労働規制強化に悩む物流業界に「世の中を変える重要な存在。従業員が心身共に〝健康第一〟に働ける職場づくりをしてほしい」とエールを送る。
―音楽関係の仕事をなぜ志望したか。
錦野 学生時代にダンスや器械体操に励んできたが、世界大会での優勝や五輪出場を目指すことが難しかったので、音楽に挑戦することにした。父に相談したところ、勤務していた大分県のキャバレーに楽団があり、高校卒業後、参加しようと思った。
―出会いがきっかけ。
錦野 ベース演奏中に、鹿児島県から踊りに来ていたお客さんが自分を見つけてくれた。彼は歌うこともできるかと店員に声を掛けてくれ、チャンスをもらえた。美川憲一さんの「柳ケ瀬ブルース」を歌唱したところ、鹿児島のキャバレーでも歌ってほしいと、翌日に連絡をもらった。
―鹿児島でデビュー当時の芸能事務所社長らと出会えた。
錦野 鹿児島のキャバレーで、一曲歌った。勤務する楽団のリーダーが当時の事務所社長を招待してくれていた。その後、鹿児島で歌唱の勉強を続けていたところ、作詞と作曲を手掛ける浜口庫之助先生がいた県内のホテルで対面することを提案してくれた人がいた。対面がかない、評価してもらえた。
―その後、デビュー。
錦野 浜口先生の都内の借家で居候しながら、レッスンを受けていた。先生の作曲中に声が掛かり、1970年にデビューした。一つ一つの出会いが重なり、現在の自分が出来上がっている。運があった。
専務の助言が原動力に
―楽器演奏と歌で悩まなかったか。
錦野 悩まなかった。芸能事務所の担当者からのスカウトは、声を掛けた側に良さを見つけ出してデビューさせないといけないという責任がある。外見や歌を評価してくれたからには一生懸命頑張ろう、一度始めたことは継続しようと思った。5~10年頑張って辞めるのはそれまでの努力が無駄になり、もったいないと感じていた。芸能界で五十数年活躍できている秘訣(ひけつ)かな。
―映画にも出演した。
錦野 音楽がうまくいかなくなってきていたからだ。これまで勉強してきた芸能を生かせるのが、音楽以外には映画だと思い、複数の作品に出演した。
―その原動力は。
錦野 第三者の目線から助言をくれる人がいたからだ。困り事があれば、妻でもある力丸ヒロ子専務に相談している。企業のトップは周囲が部下ばかりで将来のことを相談できる人が少ないのではと心配に思う。(幕府や周囲の将軍に批判などをしてきた)武士の大久保忠教のような人を見つけられるとよい。
―最近では太鼓にも挑戦した。
錦野 昨年12月中旬の鹿児島での祭りでたたいた。前座の演奏で使用した3000万円の太鼓をステージに置いたままにしてもよいかと運営事務局から相談され、専務が演奏を提案した。アンコールで北島三郎さんの「祭り」をカバーさせてもらう中、たたいた。イベント前日に太鼓の先生と練習しただけだったが、うまくできた。何事も一生懸命取り組むことが大切ではないか。
―プライベートでは水泳に励んでいる。
錦野 マスターズ水泳出場に向けて、2014年から練習を開始した。自身は52歳の結婚時に引退を考えていた。だが、専務が歌とは違うものでもう一度花を咲かせようと伝え続けてくれたからだ。
―なぜ水泳を選んだ。
錦野 専務が武井壮さんのマスターズ陸上でのメダル獲得をテレビで見て、自分には金メダルが似合うと鼓舞してくれた。マネジャーが出場できそうな競技を調べてくれ、それが水泳だった。
―諦めずに継続した。
錦野 最初の大会にマネジャーと二人で挑戦したら最下位だったが諦めなかった。5歳ごとに出場区分が分かれており、自分でもできると思ったことがその理由。ジムでのトレーニングにも精が出て、水泳コーチと一緒に、チーム「ザ・スター」を結成した。
―結果が出た。
錦野 翌年には(定期的な泳ぎが評価され、日本スイミングクラブ協会の)ベストスイマー賞を受賞できた。最近では、夏に福岡県で開催された、世界マスターズ水泳選手権で所属チームが金メダルを6つ獲得した。そのうち3つで世界新記録を達成できた。コーチも生徒が多く集まるようになり、彼らの収入増にもつながって人生を変えられた。
―コロナ禍ではフルート演奏も始めた。
錦野 新型コロナウイルス感染拡大で一時的に仕事がなくなったためだ。専務が新型コロナが落ち着いた時のことを考え、コロナ禍で成果を残せるものがないかと思い、フルートを提案してくれた。
―会計士の言葉で演奏してみることに。
錦野 専務による半年間の説得もなかなか踏み切れなかった。だが、学生時代に吹奏楽部に所属していた会計士が、「錦野さんにはフルートが似合う」と言ってくれ、21年1月に挑戦を決めた。
―成果がすぐには出なかった。
錦野 音が全然出せなかった日々が続いたが、毎日の練習を通じて次第にうまくなるのがうれしかった。一生懸命取り組むことは楽しい。現在ではディナーショーでも吹いている。このインタビュー後も2時間、事務所で演奏レッスンを受ける。
印象に残るあいさつ
―デビュー当時から、人との接し方もこだわってきた。
錦野 あいさつを工夫してきた。ある楽屋で先輩たちが周囲にあいさつする中、自分だけはあえて行わなかった。対象者が一人になるまで待ち、個人的に自己紹介をしたかったからだ。自分だけにあいさつに来てくれたと印象付けることで、顔と名前を覚えてもらえる。出会った人に好かれることも重要になってくる。
―企業経営にも通じる。
錦野 従業員に対する教育で応用できそうだ。社長が従業員のことを考えてあいさつなどの会話をしてくれると、従業員は企業のために頑張ろうと思う。社長は親代わりのようなものだから。他に、顧客と接する営業担当やドライバーにも関わる。
世の中を変える存在
―物流に関して印象に残るエピソードは。
錦野 災害時に物流が停止するとその大切さに改めて気が付く。物流停止により皆の人生が止まることを世の中にも分かってほしい。平時では遠隔地のコンビニに訪れても、東京で普段食べているものが購入できることに驚いたことがある。これも物流のおかげ。良い商品を製造しても物流がなければ消費者に届かない。世の中を変える存在だ。
―物流業界に対してエールを。
錦野 物流企業で勤務する人も自分たちと同様、心身共に〝健康第一〟で仕事に取り組むことが大事になる。経営者には従業員の心と体を守れるよう努めてほしい。年齢にかかわらず成績に合わせた、昇進や昇給もしてあげてほしい。人手不足を抱える状況でトラックドライバーの労働規制が強化される。経営者が人材確保へどう頭を絞り出すかが企業成長の鍵になるかもしれない。
記者席 細かな情報は役立つ
錦野さんはデビュー前、当時の芸能事務所の社長から学んだことがある。日常生活のささいなものでも、ビジネスの情報として役立つということ。
鹿児島市にある繁華街「天文館」を社長とデビュー前に歩いた。ただ、社長は自分の隣ではなく、なぜか10メートル後ろにいた。何度も周囲を確認するので、その理由を社長に聞いてみたところ、錦野さんが通る姿に振り向いた人を数えていたのだ。
錦野さんは「驚いた。世代、性別問わず多くの人に愛されることが大事で、仕事を長く続けられる秘訣(ひけつ)」と振り返る。人気が出るとされる人数に到達したため、デビューできた。
業界が違っても企業経営に通じることではないかとし、「現在、流行しているものに関する細かな情報の確認は重要だろう」。