インタビュー

【 社長インタビュー 】
次の100年見据え堅実に 自社育成を柱に海外展開

2019年07月02日
住友倉庫 小野 孝則社長
住友倉庫(本社・大阪市、小野孝則社長)は今年7月で創業120年を迎えた。小野社長は先人が築き上げた安定した経営基盤に感謝すると同時に、「次の100年を見据えた事業を打ち出さなければならない」と語る。コンテナ船への対応、海外進出といった先見性を持った事業はいまや経営の重要な柱に育った。「今後、海外展開は生き残る道」とした上で、高い品質を保つ現場力にさらに磨きをかける。
――7月1日で創業120年を迎えた。
小野 1899年に住友家が銀行の担保品の保管業務を分離し「住友倉庫」の商号で倉庫業を始めたことを創業としているが、実際にはさらに歴史をさかのぼることができる。住友家は明治初期、開港場だった富島(現在の大阪市西区川口)に本店を置いており、本店の倉庫の空きスペースを周辺の問屋に賃貸したことが、当社の起源かと考えている。また、別子銅山(愛媛県新居浜市)で採掘・精錬された銅は、住友家が所有する船で神戸、大阪まで海上輸送されていた。船からの荷揚げ、倉庫への入れ出しも行ったはずで、モノを動かすという当社事業の原点はそこにあると思う。
――当時から物流はあった。
小野 荷物を産地から消費地に運ぶには、その過程で積み替える結節点が欠かせない。大阪港の中心が富島から築港地区に移るのに伴い、港運業にも進出して近代大阪の発展に貢献。大正期には越前堀(東京都)、川口(大阪市)、南岸(同)、新港(神戸市)で鉄筋コンクリート造の多層階倉庫を立ち上げるなど、先人の努力が今日の安定した経営基盤につながっている。
百年の計が軸焦らず急がず
――社内には確かな伝統が息づいている。
小野 モットーは堅実経営。住友グループで受け継がれている考え方に百年の計がある。100年先を見据えて事業に取り組む。時に判断は遅いと思われがちだが、慎重に議論を積み重ねる文化がある。ではわれわれの世代が次の時代を見定め、いま実行すべきことは何か。例えば国内では所有する資産をどのように活用するか。老朽化した倉庫を最新の施設や設備に置き換えることも一案。だが、目先の功績を上げようとするあまり、決して焦ってはならない。
鋭い先見性で事業打ち出す
――なるほど。振り返ると世界的なコンテナ化の流れの中で対応は迅速だった。
小野 日本の導入期だった1955~65年代に他社に先駆けて海外の企業と連携してコンテナを取り扱えるよう努めた。61年にはAPLが日米間の輸送にコンテナ船を投入し、神戸港摩耶ふ頭で荷役作業を請け負ったことを契機に、横浜、大阪、東京各港で実績を高め、後の国際輸送事業につなげていった。
――前任の故・安部正一前会長は、早くから海外を見据えていた。
小野 現地法人勤務が長かった私が社長に就任した使命は、海外展開だと思う。今後国内の物量が増えない中、生き残るためには避けて通れない道だ。
――海外展開で必要なことは。
小野 経験上、海外で国内と同レベルにまで品質を高めるには、時間をかけるしかない。手っ取り早く現地企業を買収しても、社員が顧客と共に流出するケースが少なくない。だから、自社での人材育成にこだわりたい。
――人材確保が鍵となる。
小野 間口を広げなければ幅広い人材は集まらず、「住友倉庫」の認知度を高める工夫が求められている。現場で活躍したい人、営業がしたい人、海外勤務したい人、経営に携わりたい人など多種多様な個性が輝くことが理想だ。持続的な事業成長には、さらなる現場力の向上が必要。社内ではそれぞれの個性を見極めながら、じっくり人を育てる以外に近道はないと言っている。