インタビュー

【 戦後72年 物流トップなに思う 】
一丸で〝成り上がる″

2017年12月19日
ダイセーグループ 田中 孝一 会長
三重県南勢町(現・南伊勢町)に昭和15年、生まれた。熊野灘に臨む漁村で、祖父が日露戦争の報奨金で大盛丸という船を造り、船主をやっていた。
小・中学校の頃は泣き虫でおとなしかった。だが、伊勢高校で所属していたサッカー部が、柔道部にばかにされた時に、激しい気持ちが目覚めた。争って退学寸前までいったが、岡村浩明先生に助けてもらった。
浪人後、青山学院大学経済学部に入学。俳優の渡哲也さんとは、クラスも空手部も一緒で親友だった。大学で印象に残っているのはチャペルタイム。平日に学内で行われていた牧師の説教を欠かさず聴いていた。
卒業後、藤木海運(現・フジトランスコーポレーション)に入社。名古屋港で海上コンテナの受け入れをするため、ニューヨークへ勉強に行った。そこで知り合った友人に、「アメリカでは船員よりトラックの方が地位が高い。日本も変わるぞ」と言われて、トラック業界に入ることを決意した。
昭和44年4月23日、日本のトラック企業の地位向上を目指し、中古トラックを1台買って起業した。当時からのパートナーで大型車の運転を教えてくれたのが今年5月に亡くなった阪口弘喜副社長。彼と数人の中卒ドライバーが集まってくれての船出だった。
思いは、〝中産階級に成り上がる″。そのためには勉強するしかない。毎日仕事が終わった後、夜中までドライバーたちと一緒に新聞を読み勉強した。のし上がろうという気概を持つことがいまに続く原動力だ。従業員が〝キラリと光る〟人間に成長する。その積み重ねが、物流の地位向上につながると思っている。