インタビュー

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【 【戦後72年 物流トップなに思う】  】

父の影響で陸上に夢中

2017年12月12日

名門大洋フェリー 阿部 哲夫 会長

 昭和18年、神戸市東灘区に生まれた。平成7年の阪神・淡路大震災で最も被害を受けた場所で、生家もその時ぺしゃんこになった。
 幼稚園から大学まで甲南学園。学校は同じ区の住吉にあった。授業が終わると、ランドセルをほっぽりだして、毎日鬼ごっこや缶蹴りなど友達と遊び回っていた。畑には焼夷弾が落ちた跡があったり、防空壕(ごう)が残っていたりと戦争の爪痕が色濃く残っていて、遊び場には不自由しなかった。
 父親の影響を受け、中学では陸上を始めた。小学校から背は一番高く、足も速かった。最初は芽が出なかったが、高校の時に東京教育大(現・筑波大)から来た先生に勧められ「やり投げ」に転向。大学ではハードル競技を主にした。最初は不得手だったが、3年くらいには慣れてきて、日本選手権の決勝にまで出場できた。
 卒業後は、コンベヤーベルトなどを扱う会社に就職し、神戸営業所に所属した。上司が背が高いのに目を付けて「営業は目立つやつが良い」と思い選んでくれた。その会社では、六甲アイランドの埋め立てなどに関わった。
 33歳で結婚したのを機に、コークスなどを取り扱うケイハンに入社。住まいも京都へと引っ越した。その後子会社の名門大洋フェリーに出向することに。この会社は、フェリーブームも一段落し厳しくなった経営環境を踏まえ名門カーフェリーと大洋フェリーが合併し誕生した会社。フェリー業界は未経験だったが、仕事が面白く、いまに至るまで会社が好きでしょうがない。
 先日手術をし、体力は衰えたが会社に来ると元気が出る。通勤で、駅まで歩くのも健康に良いのかも。