インタビュー

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【 戦後72年 物流トップなに思う 】

バスケに捧げた中高時代 

2017年11月07日

札幌通運 片岸 俊幸 社長

 昭和31年、北海道栗山町に生まれた。大通公園にあるテレビ塔が、ほぼ同い年。札幌から車で1時間くらいのところ。その後江別市に移り、26歳で結婚し、札幌に引っ越しするまで過ごした。
 小学校6年生のある昼休み。担任の先生が体育館で、バスケットボールの練習をしていた。「それは何ていうスポーツ?」と聞いたのが、全ての始まり。その後、中学・高校とバスケ漬けの毎日。中学は正月を除けば、ほとんど1年中練習をしていた。先生もよく付き合ったなあと思う。
 札幌の高校に進み、さらに練習量が増加した。朝7時前には電車に乗って登校。授業が終わるのが午後3時半。4時から10時半まで練習だった。終電が11時なので、本当にぎりぎり。卒業生に、道内の実業団選手がいて、通常の練習が終わった後に、先輩たちと2試合は練習試合をしていた。そのかいあって高校2年生の時、全道優勝も経験。だが全国では初戦敗退。北海道と本州のレベルの差を見せつけられた。3年の時に、全国に行けなかった。いまでも悔いが残っている。
 大学は、バスケのない生活と思い、バイトに明け暮れた。大手ホテルの人事課に直談判して、ボーイとして雇ってもらった。当時教え込まれた礼儀や言葉遣いは、いまでも役に立っている。
 昭和54年、縁があり札幌通運に入社。航空貨物畑を中心に歩んだ。飛行機はこちらの都合で飛んではくれない。いかに目的地までスピーディーに届けるか知恵を絞る楽しさを覚えた。
 健康第一と考えている。必要なのは適度な食事。たまには、旅行などに行きストレスを発散する。長く元気でいることが一番だ。