インタビュー

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【 戦後72年 物流トップなに思う 】

背水の陣で挑んだ米国 

2017年10月31日

UDトラックス 村上 吉弘社長

 昭和38年生まれ。兵庫県川西市で育った。ボールを手で打つ「手打ち野球」などをして遊んでいた。
 中学校から西宮市にあった関西学院に入学。友人に誘われて、アメリカンフットボールを始めた。全国大会常連の強豪校、厳しい練習に加え、登下校時に駅まで10kmほどの距離を自転車で通うなど高校まで、熱中した。ところが激しい練習の結果背骨が曲がってしまい、卒業を機にやめることにした。
 大学時代は、大阪で喫茶店、バーテンダーと水商売のアルバイトをした。客商売を通じ苦手なコミュニケーションを克服しようと思った。卒業後、英語を学ぼうと渡米。辛い時代だった。大学の仲間は全員就職して、1人だけ〝外れてしまった〟という思い。ここでドロップアウトしたら終わりという危機感で、がむしゃらに勉強した。
 ペンシルバニア大大学院に入ったことが転機になった。幾つかの企業から、就職のオファーをもらう中で、フォード自動車から一番真剣に誘ってもらい入社することに。
 仕事は車両開発のコントロール。アイデアの整理や投資計画についてコメントするなど、いわゆる「番頭」のような役割。仕事をできないというのが嫌で、一生懸命取り組んできた。2度目のフォード時代は、上海万博前の中国を経験したいと中国を勤務地に希望。毎日予想外の問題が起きたが、やりがいはあった。
 その後日産ディーゼル工業(現・UDトラックス)に入社。扱う商品も乗用車からトラックに変わった。経済の影響が大きい市場だと実感した。
 機会があれば将来を担う世代に、講義などを通じいままで培ったファイナンスの経験や知識を伝えたいと考えている。