インタビュー

【 戦後72年 物流トップなに思う 】
モナリザのオーラに感動

2017年10月10日
日野自動車 下 義生 社長
昭和34年、東京で生まれた。父が銀行員で転勤が多く福岡、神戸、名古屋、横浜と引っ越しを繰り返した。転校先は、方言の強い地域が多く1人っ子ということもあり人見知りだった。
父がプレーする姿を見て、自分も野球好きに。改めて東京に引っ越してきた46年、巨人軍の練習場が家から近くうれしかった。建物や美術も好き。東京には高層ビルもあれば、上野の西洋美術館のような建物もある。
49年、レオナルド・ダヴィンチの描いた「モナリザ」が初来日。行列に並び遠くからやっと見たが、本物が放つオーラを感じた。ダヴィンチは、デッサンでも、服の中で人体がどうなっているかを考えて服のしわを描く。内面まで見据えている。
早稲田大学に入学し、講義、ゼミ、野球に追われた。ゼミの先生がひょうひょうとした人で、印象に残っている。〝男子一生の仕事〟との思いから、日野自動車への就職を決めた。最初の5年はバスの設計に携わった。
その後、大型バス「セレガ」の企画開発の担当に。乗っただけで旅の雰囲気を味わえるバスを目指した。例えばヘッドライト下のオーナメントランプ。バスが来た時に、非日常感が出るようにと付けた。だが役所の許可がなかなか下りず、何とか理屈をつけてやっと納得してもらった。
環境問題に興味があり平成11年、40歳で中央大学大学院総合政策研究科に入学。立場にとらわれない、複眼的な物の見方を学んだ。1年で全て単位を取り卒論を書くだけとなっていたが、米国に行くことになり卒業したのは、17年だった。
問題が起きた時にくよくよせずに、いかに早く復旧するかを心掛けている。好きなことをする時間も大事だ。