インタビュー

【 戦後72年 物流トップなに思う 】
彦根城を遊び場に成長

2017年10月03日
丸運 荒木 康次 社長
昭和30年、滋賀県の彦根市内船町(現・城町)に生まれた。遊び場は彦根城。小中高の全てがお城の周りにあった。おおらかな時代で城の石垣を登ったり忍者ごっこなどもしていた。
彦根東高校では、ボート部に入り全国大会を目指した。ナックルフォアと呼ばれる舵手(だしゅ)1人、漕手(そうしゅ)4人の競技で漕手を担当。図書館脇のお堀端に艇(てい)庫があり、琵琶湖に浮かぶ多景島まで片道6kmをこいで練習していた。
在学中の46年、OBでトヨタ自動車の大番頭と言われた石田退三氏が、ボート2隻を寄付した。その記念講演があったが、高校生には退屈で、後ろの方でトランプをしていた。ところが、石田さんに見つかり大目玉を食った。石田さんは54年に亡くなっており、怒られたことも貴重な思い出だ。
彦根から出ようと思い、大学は東京と決めていた。浪人中は御茶ノ水の駿台予備校に通い、千葉県の下総中山寮で暮らした。4人1部屋の過酷な生活だった。ちょうどその時に第1次オイルショックが起こり、世の中からこんなにモノがなくなるのかと驚き、エネルギー業界に興味を抱いた。東大を目指していたが、入学したのは早稲田。虎竹会という尺八の会に入部し、いまに続く趣味を得た。
卒業後は日本石油(現・JXTGエネルギー)に入社。日石と三菱石油の合併が平成11年。合併の大きな目的は効率化。人事担当で、大幅な組織の合理化に携わった。40歳前後で経験も体力も、充実した時期、よく乗り越えられたなと思う。
その後広報部に移り、多くの人とネットワークを築けた。人生の力になっていると感じる。今後は経験を生かして、ふるさとやスポーツ、文化などを支援したい。