インタビュー

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【 戦後72年 物流トップなに思う 】

夜中デスク上で、電話番 

2017年09月19日

三菱ふそうトラック・バス 松永 和夫 会長

 昭和27年東京都大田区鵜の木で4人家族の長男として生まれた。高度経済成長前夜で、なんとか生活を良くしていこうと、日本全体が活気のある時代だった。多摩川の河原で、チョウやトンボ、玉虫などを採集するのが趣味だった。
 親や周りの薦めで、中高一貫の麻生中学に入学した。伸び伸びとした校風で、個性的な生徒がそろっていた。埋没しないように、自分を主張することを覚えた。
 高3の夏からは、勉強に没頭した。長野県で農家の2階を3週間借り、友達と競い合うように勉強し、日によっては午前6時から午前0時にまで及んだ。そのかいもあり東大に入学した。
 昭和49年、通商産業省(現・経済産業省)に入省。いまの働き方改革とは真逆の時代。初日の帰宅が午前4時。当時の情報伝達は紙が主流で、コピーを取って配るのが新人の仕事。夕方になると上司のためにビールを探して歩いた。その後、エネルギーや公害対策に関する部門を主に担当することに。公害が社会問題になっていた時期で、法律を成立させるのに夜中まで折衝が続き、デスクで横になって寝ながら電話番をした。
 石油資源の確保に向けては、平成12年にサウジアラビアの採掘権を失った後、日本の油田を開発しようと、イランのアザデガン油田の開発権を手に入れた。だが、同国の核問題で米国から圧力が掛かり、結局手放すことになってしまった。
 印象に残っているのは平成9年の地球温暖化防止京都会議。二酸化炭素の排出量2年比6%削減に向けた取り組みの担当課長だった。当時のドイツの環境担当大臣が現首相のメルケル氏。日本は、現実を積み上げて目標をつくるのに対し、欧州ではトップダウンで理想を掲げる。すり合わせに苦労した。