インタビュー

【 戦後72年 物流トップなに思う 】
「トンボキチ」な少年時代

2017年09月12日
フレッシュ物流 小林 茂社長
昭和22年、三重県四日市市で生まれた。10歳まではトンボ捕りに夢中で「トンボキチ」と呼ばれたほど。池のそばで飛んで来るのを待ち構え、タモ網を振るった。
高校は、鈴鹿高校という新設校に1期生として入学。生徒会活動に熱中し、2年の時には生徒会長に。在任中の体育祭はあいにくの天気。校内を見回ると、グラウンドのぬかるみを固めるなど、皆が体育祭に向け一生懸命準備をしていた。そこで開催を決断。結果として思い出深いものになった。
卒業後、材木会社で物流の仕事に就いた。積み残しの連絡がないなど運送会社に、不満を抱いた。だが批判するより物流のプロになろうと思い立ち、西濃運輸に入社。発送や到着などの構内作業を主に手掛けた。入社半年はつらく、毎日辞めようと思った。だが実力をつければ、次々に仕事を任せてもらえる会社だと気付き、積極的にステップアップした。
荷物事故を担当した昭和49年、集中豪雨で大水害が起きて、荷物が水浸しに。その事故処理を任せてもらったのが良い経験だった。謝罪に行った大手電機メーカーの工場次長には、誠意が欠けたのを見透かされたのか、「お前をそんな奴だとは思わなかった」と叱責(しっせき)された。顧客に教えられる日々だった。
生まれ育った三重の顧客ニーズに応えたいとの思いで西濃を退社し、フレッシュ物流を設立した。田口利八西濃運輸名誉会長の「健全経営・労使協調・社員が誇りを持てる会社に」という教えを核に、顧客にも、従業員にも相手の立場で考えたいと思っている。以来30年、趣味は変わっても、会社に熱中しつづけている。(文責・佐藤 周)