インタビュー

【 戦後72年 物流トップなに思う 】
大学でディンギーに熱中

2017年06月20日
福井貨物自動車 清水 則明 社長
福井県永平寺町で、織物づくりの家に昭和29年に生まれた。工場と住居一体の家。当時の福井は織物産業の景気が良く、生家も景気が良かった。母親は、福井貨物自動車の藤尾繁郎会長の妹で料理旅館の娘。ハイカラでオムライスやカツレツを作ってくれた。
勉強は好きではなく、山でターザンごっこなど自然の中で遊んでいた。中学校ではブラスバンド部。トランペットを練習した。3年の時には福井で最初の国体。ファンファーレを演奏した。中学校の成績は悪くなかったが、高校では周囲のレベルが高くなり〝落ちこぼれ〟に。友達と集まりギターを演奏したりするのが楽しかった。
福井大学に入学後は、ディンギーヨット(1~2人用の小型帆船)に熱中した。天気情報の少なかった時代で、天気図を描いて、天気予報もやった。三国町(現・坂井市)の海で練習を重ねた。いまでも三国の海は、見れば潮の流れが分かる。
卒業後は福井貨物自動車に入社。現場にも出て、一から物流を学んだ。先輩従業員から受けた厳しくも愛情ある指導で、荷扱から危ないことまで現場のことは全て教わった。
前社長の急逝で急きょ社長に抜擢。初め断っていたが、藤尾会長が元気なうちにと思い直して引き受けた。会社の保証人となるためのはんこを押す時には、手が震えた。当時流行の映画「タイタニック」で船長が船と運命を共にするシーンで、〝社長とはこういうものだな〟などと考えた。
不平を言えば切りがない。目の前のことに誠実に取り組み、感謝を覚える方が人生は豊かになると感じている。これからも地道に歩んでいきたい。(文責・佐藤 周)