インタビュー

【 戦後72年 物流トップなに思う 】
自動車部で日本一

2017年05月30日
多摩運送・全日本トラック協会 星野 良三 会長
昭和12年に東京都で生まれた。戦中もよく記憶している。物資が足りず金曜日に学校で金属製品の廃品回収をしていたり、鉄製の橋の欄干まで持っていくような時代を経験した。お祭り好きなのに、町内におみこしが無くて隣町まで担ぎに行った。見かねた親たちが、立派な6角形のみこしを造った。いまも町内に残っている。
男子校の法政第一中学校から新設の五日市高校へと進学。高校は共学だったので、フォークダンスの時に女の子と手をつなぐのが恥ずかしかった。
自動車が好きで、明治大学では自動車部に入部。運転は得意。関東大会のトラック部門で2連覇を果たした。思い出深いのが昭和35年にトラックで行った日本一周。いすゞからトラックを、ガソリンはシェルから提供してもらった。神田警察で、荷台にいすを付けた22人乗りのトラックの走行許可を受け、22日かけ日本一周道路調査を成功させた。
部ではキャプテンで、車を17?18台保有していた。維持するだけでも一苦労。加えて人間関係を把握してうまく運営するのは社会、会社の縮図で、多くのことを学んだ。
物流は天職だと思っていたので、卒業後はすぐ多摩運送に入社。当時は人の気性が荒く、飲むとすぐけんかするような時代。鉄道貨物の取り扱いで炭やまき、コメなどが主な貨物だった。
修理工場にいた時、従業員が会社の悪口ばかり言っていた。耳を傾けると、確かに給与制度に分かりにくい要素があった。整理して、分かりやすくし、社員から信頼を勝ち得た。
物事には、必ず良い側面と悪い側面がある。良い側面から物事を見て、いまを大切に生きることが人生にとって最も重要だと思っている。(文責・佐藤 周)