インタビュー

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【 戦後72年 物流トップなに思う 】

3人のオヤジとの出会い

2017年05月23日

熊本交通運輸 住永 金司 社長

 熊本県の吉無田高原で生まれた。12~13戸しかない山の中で、買って食べるものは、塩か砂糖くらい。自給自足の環境だった。
 子どもの頃からトラックを運転することが憧れ。身近に材木輸送の6トントラックが走っていたからだ。いまで言えば、ジェット機のパイロットに憧れるのと同じ気持ち。15歳で免許を取って、高校3年の時にお金をためて2トントラックを買った。
 卒業後、母親に連れられ、熊本市内で一番大きな「丸勢」という魚屋に住み込みで働き始めた。朝4時から、親方と一緒に市場に通う毎日。市場の食堂で食事を腹いっぱい食べられるのが何よりの喜び。夕方には、客の呼び込み、午後6時半の閉店後は店の後片付け、先輩たちが食事を終わった後に親方の家にやっと帰りつく生活が20歳まで続いた。
 その後生家に戻り、行商もしながらトラック事業を本格的に開始。昭和45年ごろには、日野の10トン車を当時350万円で購入した。徐々に事業は拡大していったがある時、従業員が神戸で福山通運のトラックと衝突事故を起こした。この時、福通の渋谷昇社長(当時)と出会った。渋谷社長は、「弁償は仕事ですればいい」と、運賃の良い仕事を積極的に請け負わせてくれた。渋谷さんとの出会いは大きな転機。その後渋谷さんが熊本に来るたび、福通の熊本支店の社宅で一緒に泊り、共に風呂に入り色々と教えを受けた。
 荷主の農協組合長からも学ばせてもらった。酒席での杯の受け方、人との接し方などたくさんのことを学んだ。熊本交通運輸には、〝丸勢のオヤジ〟、〝渋谷のオヤジ〟、〝組合長のオヤジ〟の3人のオヤジの遺伝子が脈々と受け継がれている。(文責・佐藤 周)