インタビュー

【 戦後72年 物流トップなに思う 】
チームプレイが土台に

2017年05月16日
アート梱包運輸 岩下 勝美 会長
山の中の農村で育った。幼い頃正月に、子どもたちだけで獅子舞姿になり、各家の座敷まで上がり、無病息災を願っていた。秋祭りなどでは、近所の神社にやっぱり子どもたちだけで集まり、甘茶を沸かして村の人たちに振舞っていた。
村の主な生産物は米や花き。当時、木炭車で5~6時間かけて東京の花市場まで花を届けていたのを覚えている。敗戦後でも、食べ物は比較的豊かだった。トマト、ナス、モモ、リンゴが好きだった。
12歳上の兄が読売巨人軍の選手だった。赤バットの川上哲治、青バットの大下弘が活躍した時代。野球の魅力に取りつかれた。その後、中学・高校・大学と真剣に野球に取り組んだ。就職してからも、草野球で続けた。いまでも考え方のベースにあるのは野球。野球はチームプレイで、1人だけで頑張っても仕方がない。自分が次に何をするべきか考えながら行動する癖がついた。
縁は異なもの。野球がきっかけで、アート梱包運輸の親会社、アートピストンに就職することに。当時東京に就職が決まっていたが、友人の付き添いで長野県内にあるブレーキ部品専門メーカーを訪れた。その時、たまたま同じ構内に事務所があったアートピストンで生涯の恩人と出会った。「君は野球が好きか」との言葉で、入社が決定。予想外の出来事だった。その後昭和50年に恩人と共に、アート梱包運輸へ移籍。いまに至っている。
1度しかない人生、何事にも一生懸命になることが人生を楽しむ秘訣(ひけつ)。円満な家庭、胸襟を開いて話せる友人、多くの人と助け合いながら生きていければと思っている。(文責・佐藤 周)