インタビュー

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【 新春特別インタビュー 】

努力が支えた〝成果〟 出会い、感謝、恩返し 

2017年01月03日

マラソンランナー 高橋 尚子 さん

 平成12年のシドニーオリンピックで、戦後初のマラソン金メダルを日本にもたらした高橋尚子さん。つらい時でも乗り越えられたのは積み重ねてきた努力があったから。その上で多くの出会いが生まれ、金メダルに結び付いたという。高橋さんに競技生活の思い出や現在の活動を聞いた。
 ――走ることで多くの出会いがあった。
 高橋 1番は、小出義雄監督との出会い。私の人生にとって金メダルより大きな勝利。監督がいたからこそいまの私がある。まだ弱かった私に一つ一つ目標を与えて、ずっと導いてくれた。

評価を得るにはまず努力

 ――出会った当時の思い出は。
 高橋 ある先輩が小出監督に「監督はひいきをしている」と言ったのに対し監督が、「学生じゃないんだから当たり前。評価してもらえるように努力しろ。世の中の社会人は結果を出すためにちゃんとアピールをしている」と言ったのが印象に残っている。
 ――感銘を受けた。
 高橋 何かしてもらうことばかりを願うのではなく、努力を土台にして監督に見てもらえるように、自分でできることをやらなければと思った。
 ――すぐ行動に移した。
 高橋 コンディションや日々の状況などを書いて毎日ファックスで監督に送ってアピールした。
 ――小出監督の印象は。
 高橋 弱かった時も「世界で1番になれよ」と言い続けてくれた人。私もその気になって有森裕子さんが銀と銅を取っているから、恩返しには金メダルしかないな、と考えるようになった。
 ――平成12年のシドニー五輪で金メダルを獲得。
 高橋 長い練習もこの42㎞で終わってしまうんだという寂しさを感じながら走った。走り終わってゴールした時に、監督がビールを飲みに行って見当たらない。さらに400mくらい走ってやっと出会えた。私のシドニー五輪は42.195㎞プラス400m。

ファンレターが支えに

 ――五輪後、ケガなど苦しい時期も経験した。
 高橋 16年は特に苦しい年だった。何を目指して走ろうかと悩み、前を向いていられなかった。支えてくれたのがファンレター。翌年からは「チームQ」を立ち上げて活動を開始した。
 ――多くの人に支えられている。
 高橋 本当にそう感じる。チームQでも、コーチ、トレーナーなど多くのスタッフと一体で活動している。大会でも、たくさんのスタッフやボランティアが関わっている。本当に感謝している。
 ――引退を意識したのは。
 高橋 突然。引退した年の6月にプロ野球の桑田真澄選手の引退が報じられて、日本に帰ったら引退ってどんな気持ちか聞きたいなと思っていた。ところがその年の9月には自分が引退することに。練習がしっかりできていれば、試合の結果に悔いは残らない。けれども、練習でベストを尽くせなくなった時に引退を感じた。
 ――大きな変化だ。
 高橋 それまでは、食べて寝て走るという生活。それが一変した。新しい生活に慣れるには、自分ともう1度向き合い見つめ直す作業が必要だった。

積み重ね、新生活でも糧に

 ――多くのアスリートが再出発には苦労している。
 高橋 それまで競技に打ち込んでいる分、一から違う世界に向かうことは困難だ。だが、いままで積み重ねてきたことは新しい生活でも糧になる。アドバイスを求めてくる後輩達にもそう伝えるようにしている。
 ――走ることが好き。
 高橋 大好きなんだな、と思う。多い日で80㎞、平均でも40~50㎞走っていた。小出監督の練習メニューは厳しかったが、練習後は欠かさず〝探検ラン〟など遊びの走りもしていた。
 ――いまでも走っている。
 高橋 仕事前後にゆっくり20㎞ほど走っている。走っていると感謝の気持ちも湧き上がってきて、悩みにもポジティブな気持ちで向き合える。いろいろな大会で、参加者の95%とハイタッチをするという活動もしている。多くの人が「ありがとう」と応えてくれる。まるで笑顔の花が咲く中、走っているような気持ち。感謝は尽きない。

◇東京五輪へ思いを語る

 オリンピックは人生を変える場、生で見てもらうことで多くの子どもたちに夢を与える。トップアスリートの活躍を目にすれば、将来なりたい理想から逆算して、努力することができる。それぞれのやっていることを突き進んでどんどん伸びていくきっかけになってほしい。
 一方で忘れてはいけないのは、五輪が多くの人に支えられている場だということ。東京では、これから会場建設から実際の競技運営までトラックが大活躍することになる。選手がゴールした後に笑顔になるのは、そういった多くの人に支えられているという感謝に裏付けられているから。
 大変な作業を乗り越えた時やつらい時間を乗り越えた時に笑顔が生まれる。私はマラソンを通じて、苦しい時こそ見方を変える時ということを学んだ。考え方を変えれば、高い崖も風景の良い見晴らしの良い場所。そうやって乗り越えてきた。苦しみが大きいほど達成感もある。
 素晴らしい東京五輪になるようにみんなでタッグを組んでやれればと思っている。

(略歴)
 たかはし・なおこ=昭和47年5月6日生まれ、44歳。岐阜県出身。中学から本格的に陸上競技を始め、大阪学院大を経て実業団へ。平成10年名古屋国際女子マラソンで初優勝。12年シドニー五輪金メダルを獲得し、国民栄誉賞受賞。13年ベルリンでは女性として初めて2時間20分を切る世界記録(当時)を樹立する。20年に引退。日本陸上競技連盟理事などを務める一方、スポーツキャスターなど多方面で活躍中。(佐藤 周)