インタビュー

【 社長インタビュー 】
「顧客目線」重視は不変 100周年迎え次の飛躍へ

2016年08月30日
濃飛倉庫運輸 小澤 義行 社長
今年8月28日、濃飛倉庫運輸(本社・岐阜市、小澤義行社長)は創立100周年を迎えた。大正5年、濃飛倉庫の社名で倉庫業を開始し、発展する道のりの中で総合物流事業者としての地位を確立。1世紀の歩みを振り返りながら、積み重ねてきた伝統と信用力をどう将来へつないでいくか、小澤社長に聞いた。
――大きな節目に立ったいまの思いは。
小澤 先輩の奮励努力の姿が目に浮かぶ。力の蓄積が歴史をつくり上げた。改めてありがたいと感じる。過去を見つめつつ、未来へ向けて一層土台を強固にしていかねば、と決意を新たにしている。
――社長に就いて7年。就任時、社内での第一声が「原点重視」だった。
小澤 創業93年の伝統の原点を大切にしたい思いがあった。顧客、地域との絆を守りながら、顧客はもちろん、社会、社員にとってもより信頼される会社づくりが創立以来の理念。その精神をみんなで見つめようと語った。
荒波乗り越え強じんさ育つ
――歴代社長同様、経営環境の厳しさも体験。
小澤 リーマン・ショックの翌年に就任。当社も例外ではあり得ず苦境に陥った。大変な試練だった。
――逆境を乗り越えた。
小澤 良い経験になった。厳しさを通してより強じんな企業体質が練られていくと実感する。
――その積み重ねが100年続いた。
小澤 先輩たちも全社一丸となって成長の道を必死に切り開いてきた。昭和29年、当時の尾関好平社長が指揮し名古屋港に進出した時は、刃物などの輸出でスタートした。事業の開始時の思い、拡大させるための苦労を胸に刻みたい。
――創立80周年時は尾関尚司氏(現・名誉会長)、90周年時は尾関卓司氏(現・相談役)がそれぞれ社長。100周年を迎えるトップとして次の10年の策は。
小澤 大切に守ってきた姿勢は不変。濃飛ならではと評価してもらえる、きめ細かな物流を実践する。顧客目線で仕事を捉え、個々の顧客に最適なオーダーメードの物流を提供していく。
アジアの中の濃飛を掲げて
――トータルサービスに力を入れている。
小澤 輸送、通運、倉庫、港湾など、それぞれの機能を組み合わせた独自の提案を推進している。一体化させたシステムのノウハウをさらに磨き、顧客とWIN―WINの関係をつくり上げたい。
――国際物流の拡充も見据えた。
小澤 「アジアの中の濃飛」を目指し積極的に事業展開を図っている。現在、上海・香港・青島・北京・タンゲラン(インドネシア)・ホーチミン(ベトナム)の6カ所で、倉庫保管や流通加工を手掛けている。日本国内と同じハイレベルの物流をアジア各地でも実践していく。
――アパレル物流がアジア進出のきっかけに。
小澤 もともと当社とアパレル関連荷主との結び付きは強く、そのおかげでアジアへの足掛かりをつくることができた。得意分野として引き続き大事にしたい。同時に他の業種の海外物流もしっかりと育てていく。「世界の中の濃飛」を標ぼうできる将来像もつくっていきたい。
――大型拠点整備を果敢に進めている。
小澤 岐阜第二総合物流センター、大垣総合物流センターをそれぞれ平成25年、27年に開設したのに続き、来年2月には愛知県小牧市に総合物流センターを稼働させる。成長のための種まきを途切らせることなく続けていく。
記者席 「高品質」への誇り
入社したのが昭和50年。第一次石油危機の1年半後。その後も41年間の勤務で、経済情勢の激しい変化、事業環境の移り変わりを実感してきた。「いまも厳しさは続いている」と気を引き締めて創立101年目の経営に向かう。脈々と受け継がれてきた現場力は「自社の財産」と胸を張る。競争激化時代を乗り切る大きな力だ。
国際物流では自らの発案で掲げるのは「アジアの中の濃飛」。「国内外を問わず同じレベルの高度なサービスを実践する」
現場で培ってきたノウハウへの誇りも感じ取れる。物流品質に磨きをかけながら、国内外の新たな展開策を練っている。
休日には、夫人と歴史文化の薫る街を散策。就寝前の読書は気持ちの安らぐ時間となっている。
(略歴)
おざわ・よしゆき=昭和25年1月22日生まれ、66歳。岐阜県出身。49年明治学院大法卒。50年濃飛倉庫運輸入社。平成13年取締役倉庫事業部長、17年常務、19年代表取締役専務を経て21年6月社長就任。(谷 篤)