インタビュー

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【 西日本ブロック特集・特別インタビュー 】

脱・トラック策を推進 三方良しの思い堅持

2024年08月13日

姫路合同貨物自動車
北野 耕司 相談役

姫路合同貨物自動車(本社・兵庫県姫路市)の北野耕司会長(94)が6月末に開催された株主総会を機に、相談役に退いた。社歴は65年にも及び代表権を持った社長、会長として48年間、陣頭指揮。兵庫県トラック協会長も20年にわたり務めた。退任を機に企業経営に対する思いやトラック業界関係者に伝えたいことを改めて聞いた。

―6月の株主総会を機に相談役に退いた。

北野 1976年、46歳の時、父親で社長だった北野熊三が急逝し、常務だった私が社長に就いた。その後、会長時代を含め48年間、代表権を持ち仕事をしてきた。山あり谷ありだったが、社員はもとより、取引先、株主の皆さんに支えられてやってこれた。

―2024年3月期は増収増益だった。

北野 売上高は前期比0・2%増の158億3700万円と横ばい。だが経常利益は8億7600万円と同8・5%増えた。17期連続の増益。コスト削減は当然ながら、経験豊富な人材の採用や社内プログラムに基づく教育に注力した。(17期連続増益は)創業以来の協力・協労という「親和」の精神が引き継がれていればこそ。「三方良し」の精神でお互い成長できるのが一番良い。

―創業以来の路線(特積み)事業縮小を含め業態は変わってきた

北野 社長に就いて、収益力強化を図るため最初に手掛けたのが脱・路線トラック事業だった。この頃、既に資金調達も含め将来に向け路線事業を伸ばせる状況になかった。路線事業を展開するには最低限のネットワーク整備が必要で、相当額の資金も必要だった。

―次なる施策が脱・トラック事業だった。

北野 運送主体から倉庫業・3PL事業への切り替えだった。現在も加速している。トラックの保有台数はピーク時600台超だったが、現在350台程度にスリム化された。

二法で局長から呼び出され

―1986年、兵庫県トラック協会長に就き、以降20年間、会長として先頭に立ってきた。

北野 90年12月の物流二法施行の前後、都道府県ト協で唯一、兵ト協だけが「規制緩和反対」の総決起集会を開いた。本省(国土交通省)の丸山(博)自動車局長からの呼び出しで出向くと、業界の将来を見据えた法改正であり、主旨を理解してほしいと。施行後、運送企業数増加はすさまじく、89年度末は約3万9550社だったが、新規参入が相次ぎ2004年度末では6万社を突破した。貨物自動車運送事業法第7条では輸送供給力が需要に対し著しく過剰となれば「緊急調整措置」を取るとあったが、イエローカード・レッドカードは過去一度も出されていない。

危機に直面し業界再編進む

―今もなお規制緩和見直し論がくすぶる。

北野 兵庫県内に限れば、かつて路線会社は、御三家の1社だった日本運送(現・JPエクスプレス)をはじめ、新日本運輸、姫路合同など6社あった。だが、規制緩和やリーマン・ショックを経て当時のまま残るのは当社だけだ。トラック業界が危機に襲われながら今日に至っていることを十分に知ることができる。

―足元では、業界はドライバーの労働規制強化に伴う2024年問題対応で忙しい。

北野 拡大再生産を続けていくには、コストを賄い、将来に向けた設備投資が行える適正な運賃・料金収受が欠かせない。24問題も根っこは同じで、仕事に見合った賃金を支払わねば優秀な人材は集まらない。足元では業界の二重、三重構造により吸収されドライバー不足の実態が見え難いが、抜本的な解決にはなっていない。業界関係者は運賃・料金の適正収受に向け一致団結して取り組まねばならない。