インタビュー

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【 全ト協・事業者大会特集特別インタビュー 】

人と人つなぐ喜び、達成感 重圧がアスリート強くする

2023年10月03日

雪印メグミルクスキー部 アドバイザー 原田 雅彦さん

 長野五輪スキージャンプで「逆転金メダル」のメンバーの1人だった原田雅彦さん。雪印メグミルクスキー部のアドバイザーとして後進の指導に当たる一方、全日本スキー連盟、日本オリンピック委員会(JOC)などでの役職を兼務し、今なお東奔西走の日々が続く。アスリートの真骨頂を「プレッシャーがあればこそ強く大きくなれる」。また、物流は「人と人をつなぐ喜びと達成感のある仕事」と言い切る。

 ―スキー部では総監督からアドバイザーへと立場が大きく変わった。
 原田 現在の仕事は、若い選手たちに思い切り高く遠くに飛んでもらうための後方支援だ。また、私自身、全日本スキー連盟やJОCなど外部の仕事もあり、社会貢献というか、スキー競技の普及やファン獲得に向けた活動、さらに2030年の冬季五輪の札幌への誘致活動にも取り組んでいる。
 ―飛ぶことはもはやないと。
 原田 現役を引退して20年近くがたち若くはないが、日頃の努力のかいもあって体型や体重は現役時代と全く変わっていない。ただし、スキージャンプのスピードに耐えられる体ではなくなっており、怖くてとても飛べない(笑)。

選手の一番近い距離に立ち

 ―22年の北京五輪では総監督を務めた。
 原田 総監督の仕事は選手たちに自分の持ち味を最大限発揮し、納得できる記録と結果を残してもらうことだ。私は私らしく、選手たちから一番近い距離にいて、選手たちが安心して全力で競技に打ち込めるよう努めたが、選手たちの活躍は本当に素晴らしかった。
 ―それにしても1998年の長野五輪・団体戦の「逆転金メダル」では日本中が歓喜に沸いた。
 原田 船木和喜、斎藤浩哉、岡部孝信、私の4人だった。日本で開催される五輪に出場できたこと、その時現役選手でいられたこと自体が全くの奇跡というほかない。しかもメダルを狙うアスリートとして出場し、実際に金メダルを獲得できたことなど奇跡という以外に適当な言葉は見つからない。4人ともギリギリの状態で飛んだが、多くの人から素晴らしかったと言ってもらえて心底うれしい。
 ―原田さんの号泣も感動のドラマとして今なお語り草だ。
 原田 取材対応などの折には今も聞かれるが、1回目のジャンプが大失敗し、4年前の94年リレハンメル五輪の悪夢の再来かと。2回目は137メートルのジャンプができ、もうほっとして全身の力が抜け、涙も出て真っすぐに立っていられなくなった。関係者の声掛けも耳に入らなかった。私の場合、たくさんのドラマがあり過ぎたが、長野五輪の経験によって一人のアスリートとして成長することができた。

怖かった初めてのジャンプ

 ―スキージャンプを始めたきっかけは。
 原田 生まれ育った北海道上川町の実家は日本一素晴らしい紅葉が見られる層雲峡の麓で、裏は小さなスキー場だった。小学校に入学して間もなく、地元のジャンプ少年団に入ったが、年上の仲間がジャンプ台から飛んでいるのを見ながら一体どんな気持ちになれるのかなと好奇心が湧いてきた。初めてのジャンプは20メートルだったと記憶しているが、やっぱり怖かった。当時、怖くて何度もスタート台を離れられないことがあったが、いざ飛んでみたら浮く感覚が何とも気持ちが良い。

飛んだ人だけが知る醍醐味

 ―それでジャンプのとりこになった。
 原田 うまく表現できないが、それこそ「飛んだ人」にしか分からない気持ちの良さが醍醐味(だいごみ)ではないか。長野五輪の時もそうだったが、想定外の天候というか、雪が降ったり、風が急に強くなったりと、いろんな自然条件とも戦っていかねばならない。そこがまた、ジャンプの難しいところでもあり、面白さなのかもしれない。

プレッシャーを跳ね返す力

 ―若い後進の選手たちにはどんなアドバイスを。
 原田 スキー選手に限らず、野球、サッカーなどどんなスポーツでも選手たちはプレッシャーと闘いながら日々を過ごしている。そこから先が分かれ道で、貪欲さというか、あいつには絶対に負けないぞといったプレッシャーが強ければ強いほど、一人のアスリートとして成長できるものだ。今、活躍が注目されている高梨沙羅選手なんかは、強いプレッシャーを感じながらも絶対に逃げないで立ち向かっていく。
 ―スポーツは感動も与えてくれる。
 原田 その通り。私を含め多くの人たちが享受する感動は、選手本人にすれば自身への励みともなって跳ね返ってくる。現状を打破し、より上の記録へ挑戦していこうというエネルギーとなる。プレッシャーから逃げてはならない。
 ―今月4日、トラック輸送業界の団体が札幌市で全国大会を開く。物流業界にメッセージを。
 原田 入社して間もない頃、雪印グループにも物流会社があり、午前中はグループ会社のトラックに横乗りして商品の配送業務、午後はジャンプの練習に明け暮れた。物流はモノを運ぶことが基本だろうが、人と人をつなぐという喜びと達成感がある仕事だ。当社の商品も物流がなければ消費者に届けられない。

記者席 感謝の気持ち忘れずに

 スキージャンプ界のレジェンドは、いつまでも若く、一人のアスリートとしての挑戦の気概を忘れずに持ち続ける。また、機知に富んだ話しぶりと人懐っこい「原田スマイル」は今もなお健在だ。
 2006年、現役を退き、雪印メグミルクスキー部のコーチ、監督、総監督、そしてアドバイザーと選手を支える側に。現役時代に支えてくれた関係者への感謝や恩返しの気持ちが、スキー連盟やJOCの仕事を引き受けるきっかけとなった。
 ジャンプは飛距離点と飛型点がポイントとされている。日本のスキー界やスポーツ全般の振興・発展のため、「原田ファン」ならずとも現役時代に増しての飛距離・飛型点をたたき出してほしいと願っているに違いない。