インタビュー

【 社長インタビュー 】
別府航路代替えは3年後 「関西―九州の物流支える」

2019年08月27日
フェリーさんふらわあ 赤坂 光次郎 社長
6月に井垣篤司会長から社長のバトンを受け継いだフェリーさんふらわあ(本社・神戸市)の赤坂光次郎新社長。関西―九州間で3航路を運営し、モーダルシフトを担う重責は年々増している。船齢が20年を超えた大阪―別府航路の代替えが課題に挙がる。赤坂社長は「3年後の就航が一つのめど。大型化でトラック150台を積載したい」と決意を語る。
――社長就任の率直な感想は。
赤坂 関西に住むのは大学卒業以来38年ぶりで懐かしい。親会社の商船三井では海外勤務が18年と長く経験し、主にコンテナ船部門を担当した。60歳でいま1度、国内部門を担う機会に恵まれ、気持ちを新たにしている。
貨物の動向見極め需要確保
――社内の雰囲気はどうか。
赤坂 当社は関西汽船、ダイヤモンドフェリー、ブルーハイウェイライン西日本の3社を源流に持ち今年、設立10年を迎える。4月から社員とのコミュニケーションを図って社内の現状や課題の把握に努めた。目指すべき方向性が一つにまとまっていると認識した。
――昨年、大阪―志布志(鹿児島県)航路の代替えが完了した。
赤坂 念願だった「さんふらわあ さつま」「さんふらわあ きりしま」が就航を果たした。新船効果が大阪―別府(大分県)航路、神戸―大分航路にも波及し、2018年12月期の3航路を合わせた航送実績は約20万台、旅客数は約50万人と順調だった。
――関西―九州間の物流の生命線の役割がある。
赤坂 貨物部門はトラック業界のドライバー不足やコンプライアンス(法令順守)の厳格化を背景に、モーダルシフトの需要は減ることはないとみる。一方で、西日本航路は他船社との競争が激しくなりつつある。そこで輸送している貨物の詳細な品目を分析している。例えば、ある製品が生産拠点を国外に移せば輸送量に変化が起こる。モノの動きを的確に捉えることで、輸送量を確保していく。
――旅客部門は「カジュアルクルーズ」を推し進め集客を図っている。
赤坂 フェリーは気軽に非日常空間を味わえる点が最大の魅力。志布志航路の新船は公共スペースを拡大し、カジュアルクルーズの世界観を実現した。売り上げ構成比では旅客事業は全体の約40%を占め、他船社より割合が高いと思われる。別府航路への新造船投入で45%までに高めたい。
――具体策は。
赤坂 大分、別府は全国的な知名度があり、魅力的な観光資源だ。半面、志布志港がある大隅地方の知名度は薩摩地方に比べ高くないが、自然との触れ合い、特産の味覚など観光地としての潜在力が高い。鹿児島県と連携を図り、さらに利用客を呼び込みたい。
新船大型化で積載150台
――大阪―別府航路の新船はどのように描く。
赤坂 現行船は船齢が20年を超え、代替えは急務だ。2隻とも全長は153メートルと小ぶりで、瀬戸内海を航行できる全長199メートルまで広げて大型化を実現したい。3年後の就航を一つのめどとして検討している。トラックの積載量は船腹の拡大で、現行より4割増えて150台を確保したい。新造船投入で関西と九州のパイプをより太くしたい思いは強い。
――安全は事業の根幹だ。
赤坂 フェリーの運航は365日で、無事故は絶対的な使命。乗組員には荷役中、航行中は決して気を抜かないよう伝えている。一つのほんのわずかな出来事が事故につながる可能性がある。これまで積み上げた安全、信頼は一瞬で崩れてしまうことを肝に銘じなければならない。
記者席 歴史ある航路の次の1手
青春時代を過ごした関西に戻ってきた。1995年に発生した阪神・淡路大震災を乗り越えた街並みを「綺麗になった」とする一方、随所に残る風景に懐かしさを感じる。
内航業界にはモーダルシフトの追い風が吹き、新造船による大型化や航路の開設が相次ぐ。陸送が可能な西日本航路でも貨物の利用は堅調な動きだ。そうした中での社長就任だが、他船社との差別化を図り生き残るすべを描かなければならない。
航路の存廃まで議論があった大阪―志布志航路は新造船が快走する。次なる代替えは明治に開設した歴史と伝統を持つ大阪―別府航路。船腹の大型化で貨物、旅客部門でどのような戦略を打ち出すのか。手腕に注目したい。