インタビュー

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【 戦後72年 物流トップなに思う 】

神戸港で海への憧れ培う

2017年09月26日

川崎近海汽船 石井 繁礼 会長

 昭和24年、大阪府堺市に生まれた。母方の里が飛騨高山にある運龍寺という寺で、小学生までは毎夏を過ごした。まだ日本は貧しかったが、祖父の寺はモノが豊富。従兄弟と遊び回っていた。
 学校では授業中じっとしていられない性格。怒られてバケツを持って立たされたこともある。堺は戦争の爪痕がまだ残っていて、海水浴場の浜寺公園には進駐軍が駐留していた。
 高校、大学とハンドボールに夢中。三国ヶ丘高校3年の時に、和歌山で行われたインターハイに出場した。近くだったが、近所の宿に宿泊。10数人が雑魚寝で、とても眠れたものではない。睡眠不足で試合に挑み、体調不良で山梨の高校にあっさり負けてしまった。
 小学校3年生の時に母親に連れられて叔父の乗る練習船「海王丸」を見学に行った。異国の香りがする海の仕事に、憧れを感じた。そんな思い出もあり、神戸大学に入学。学園紛争まっただ中で、授業はなくハンドボールに明け暮れた。大学3年の夏は、国立大学船で優勝。秋には、関西リーグ2部優勝寸前までいったが私学の壁を崩せなかった。当時六甲台から見た神戸港は貨物船が空を浮かんでいるようで、忘れられない景色だ。
 世界を知りたいという気持ちと、神戸市内でよく見られるKのマークに引かれて川崎汽船に入社。不定期船畑を歩んだ。忘れられないのは、電力会社の燃料炭輸送。当時川崎汽船のシェアは最下位。当時の社長が全面的にバックアップしてくれて、参入障壁をこじ開けた。仕事とは組織で成すものと痛感した。
 現在友人たちの多くが仕事を辞め、サークル活動などを始めている。今後もっと遊びに行かなくてはと思っている。